創業200年の老舗菓子屋「榮太樓總本鋪」のリブランディング。元プラップジャパンの知財にも精通した広報プロ瀧本裕子氏による、伝統・ストーリーを次の世代に引き継ぐブランディング手法とは?
創業200年の歴史を持つ榮太樓總本鋪。日本橋の屋台からスタートし、現在に至るまでに時代背景に合わせて全国の百貨店や駅ビルなどに販路を広げた老舗企業です。幅広いラインナップの商品はどれもこだわりの製法・原材料で作られ、味にも自信があったものの、自社の強みを上手くPRできずにいました。200周年を機にブランディングを決意し、アサインされたのが瀧本裕子さん(以下:瀧本)です。老舗企業とプロ人材がどう併走したのか、細田将己副社長(以下:細田副社長)との対談形式でじっくりご紹介します。
Contents
- 1 江戸時代から続く伝統を守り、和菓子づくりに情熱を注ぐ老舗企業。商品に自信はあるものの、強みをどう発信すべきか迷っていた
- 2 「何があっても諦めない、逃げない、やり抜く」を信念としながら、社外・社内両面から企業の広報・ブランディングを支援
- 3 200周年を機に、次の200年に向けたブランド戦略を構築。社員の共通価値を言語化した上でインナーブランディングを実施。
- 4 次の200年に向けた記念商品の開発やブランドの見える化を図るため動画や特設サイトを開設し、中長期的な施策で新たなコーポレートブランドの社内外への浸透を狙った
- 5 200周年記念で開発した周年記念の榮太樓飴は1日に1500缶売り上げるまでに大躍進。新たに20~30代に商品をリーチすることができた
- 6 やりたいと思っていても自分達だけでは施策を実行できない時には、背中を押してくれる外部人材の存在がありがたい
- 7 老舗企業のブランディング戦略案件におけるまとめ
江戸時代から続く伝統を守り、和菓子づくりに情熱を注ぐ老舗企業。商品に自信はあるものの、強みをどう発信すべきか迷っていた
江戸時代から和菓子を売り続け、戦後に東横のれん街に進出。全国規模の和菓子屋へと成長を遂げた
細田副社長:榮太樓總本鋪は江戸時代に日本橋で創業して以来、200年続く生粋の江戸菓子屋です。創業当時の名前は井筒屋でした。
もともと屋台できんつばを売っていたところからスタートし、昭和30年代頃に榮太樓飴という缶入りの飴が大ヒット。全国的な知名度を得て今に至ります。特に大きかったのは百貨店への進出ですね。戦後、祖父が個人商店の仲間を集めてどこかでお店を出そうという話になり、場所を提供してくれたのが当時の東急の社長である五島昇さんでした。それが今の東横のれん街です。当時のメンバーを中心に店舗を全国展開したので、今も同じようなブランドがどの店舗にも入っています。
時代と消費者行動の変化に応じた商品の拡充や多様な販売方法を促進しながらも、製法や原料は江戸時代のまま。和菓子の本来あるべき姿を伝え続けたい。
細田副社長:商品に関して一番大事にしているのは、江戸時代の味を今につなぐことです。例として後ほど登場する金鍔と榮太樓飴についてお伝えしますと、例えば当社の金鍔はあんこを非常に薄い皮で包むという高度な技術が必要で、他のお店ではなかなか実現できませんでした。そこで他社さんは、あんこではなく羊羹のようなものに生地をつけて焼いてきんつば風にして、日持ちを考慮して砂糖や寒天を入れたため、非常に甘くなっています。これに対してうちの金鍔は砂糖が控えめなので日持ちはしない代わりに甘すぎず、寒天も入っていないのであんこは柔らかくしっとりしています。焼き目がついた部分は香ばしくて美味しいお菓子です。榮太樓總本鋪は、そんな江戸時代からのあるべき金鍔の姿と味を伝えたいのです。
細田副社長:もう一つの代表商品である榮太樓飴は、日本で唯一贈答品に使われるレベルの飴で、職人が直火の銅釜で炊いています。最新鋭の工場で機械化されている部分はありますが、レシピも製法も江戸時代からほとんど変わっていません。ここまで伝統的な飴作りをしているお菓子屋は会社規模ではほかに無いのではないでしょうか。
ただ、製品作りのポリシーはあっても、提供方法は現代に合わせていかなければなりません。例えば「Ameya Eitaro」というブランドは20~30代をターゲットとして、宝石や雑貨のように飴を売るというコンセプトで飴を展開しています。「からだにえいたろう」というブランドでは糖質オフの羊羹や血糖値が上がりにくいどらやきなど、健康への関心が高い高齢者向けの商品も出しています。今はネット通販が主流ですから、もちろんWebへの対応も積極的に進めています。
200年企業が続く秘訣について度々質問されますが、「伝統は革新のある持続です」とお答えしています。会社の歴史や昔からあるレシピを見つめ続けながら、新しいことにもチャレンジを続けるということです。温故知新ですね。
和菓子作りにかける想いはどこよりも強い一方で、それを発信するブランディングや広報には弱みがあった
細田副社長:私はもともと大手総合商社で投資業務に従事していましたが、12年前に家業を継ぐ形で入社しました。企画や販促を手掛けつつ、現在は副社長の役職に就いています。これまで、良いものは守り無駄は省くという意識の中で、コストダウンにつなげる工夫はいくつもしてきました。
一方で、榮太樓總本鋪というブランドだけで勝負していくのは無理という思いもありましたので、「Ameya Eitaro」など結果的に5つのブランドを立ち上げました。ただ、多額の販促宣伝費を確保出来るほどの規模の会社ではありませんし、発信力の弱さを常に感じておりました。
当社は昨年で200周年を迎え、私としては全従業員に浸透している「自分たちの作っているお菓子はすごいのだ」という自負と情熱を、もっと攻めの姿勢で世の中に伝えていきたいと思いました。そこで、改めて榮太樓總本鋪のことを知ってもらうためのブランディングや広報をしていこうと考えていましたが、先程申し上げたようにどう伝えていくのかという部分が非常に弱く、SNSのアカウントも持っていませんでしたし、Webサイトなども古臭いデザインでした。ですから広報施策についての支援が必要だと考えました。
ただ、当社のような中小企業では、プロ人材をフルタイムで雇うのは、経営的にも他の社員とのバランスを考えると難しい部分があります。突然給料の高い社員が入社してきたらハレーションが起きてしまいますから。そういう意味でも外部のプロ人材にコンサルティングをお願いしたかったんです。ただ、表面的に言葉だけで何か言われてもなかなか受け入れられません。ただのコンサルではなく、実務も含めて一歩踏み込み、なおかつ私たちの背中を押してくれるような方に来てほしいと思いました。
プロシェアリングの活用コンサルティングの会社さんを選んだのは上記のニーズもありながらですが、何より担当コンサルタントの方が我々のことをすごく愛してくれていたからです。いろいろと勉強もしてくれて、ただ人を紹介するのではなく、本当に榮太樓のために何ができるのかを考えてくれるスタンスを強く感じていました。そんな中で出会ったのが瀧本さんです。
「何があっても諦めない、逃げない、やり抜く」を信念としながら、社外・社内両面から企業の広報・ブランディングを支援
瀧本:私は知財まで含めたブランディングを一気通貫で現在提供させていただいております。大切にしているのは何が起こっても諦めず、お客さまのゴールに向けて逃げずに最後までやり抜くということです。
企業を支援させていただく上で大切にしているのは、まず企業の良さや強みを最大限引き出すこと。なおかつ、社員の方々自身にも自分たちの魅力について腹落ちしてもらえるようにすることですね。強みを打ち出すことで社外からの注目を集められることはもちろん、社内に自社の良さ・強みが浸透している企業は社員が一番の会社のファンになっている事が多く、そういう会社は本当に強いと実感しています。そのためにまずは信頼関係をつくり、ヒアリングや調査などを行いながら、全体の課題を整理するようにしています。
200周年を機に、次の200年に向けたブランド戦略を構築。社員の共通価値を言語化した上でインナーブランディングを実施。
現在もブランド浸透施策が社内で継続的に実施できている
瀧本:榮太樓總本鋪さんの場合も全体を整理する現状分析からはじめました。店舗の販売スタッフ、工場勤務者、本社・営業所社員、役職者など全部署に満遍なく、「今の会社をどう思っているか?」「どんなところが好きか?」「今後どんな会社でありたいか?」等、30項目ほどヒアリングしながら、次の200年に向けたブランドの方向性などをまとめていきました。ヒアリングの結果、それぞれの人たちが会社を愛しているものの、会社に対する見方や受け取り方がバラバラでした。そこで次の200年に向けた一つのメッセージを打ち出し、共通の価値観を会社の中に創造するということを今回のプロジェクトの一つの大きな目的にしました。
細田副社長:常に思うことですが、まずは社員それぞれが知っている会社に関する情報量に差が大きい為に、もっと会社の特徴や良い点を知ってもらいたいという思いがあります。また、外部向けに発信される情報を通じて、初めて会社のことを知るということも大きいと思いますので、外向けに配信したものが内部の人に受け入れられ、それがまた外向けに配信されていくという循環が起きてくれればベストだと考えています。
今回の200周年でも、一過性の御祝いにお金をかけるのではなく、「社員の心や意識を一つにする」「お客様に会社の魅力を伝える」という2点が判断基準でしたね。実施内容の案はいくつかあったので、目的に合わせて絞って行きました。
瀧本:共通価値を創るための一つとして、社是の変更を決断をされました。もともと榮太樓總本鋪さんは「味は親切にあり」という社是だったのですが、ヒアリングの結果から社員間に会社に対する見方や価値観が異なっていたので、社是に対して抱いているイメージや解釈がバラバラだったんです。
細田副社長:考える人、作る人、売る人がそれぞれの立場に当てはめた解釈になってしまっていたんですよね。面白い言葉ではあるのですが、曖昧な言葉で様々な解釈が出来てしまう為、立場によって意味が違う「味は親切にあり」が存在していて、ストレートな表現ではありませんし理解も難しかったので、もっと平たくわかりやすい言葉にしようと思いました。
社長と相談して決めた新しい社是が、「心の豊かさに挑戦する榮太樓」です。美味しいお菓子をお客様に召し上がっていただいて心豊かになってもらうには、作り手である私たち自身も心豊かである必要がある、という意味を込めています。私からの希望で、そこに挑戦という言葉を加えました。立ち止まっていると老舗企業はダメになりますし、心の豊かさも挑戦してこそ得られるものだからです。
瀧本さんからの提案で、社是を変更してからは毎月社員に心の豊かさエピソードを発表してもらうなど、浸透のための取り組みもしています。
瀧本:取り組み続けることで自分たちの物になっていくので、続けてくれていて嬉しいです。
細田副社長:今では、「それは社是にある心が豊かな行動なのか?」という言葉も聞こえるようになってきているので、よかったと思います。
瀧本:それから、社員のみなさんを集めたブランド浸透イベントも行いました。その際に全社員を対象に「私が考える10年後の榮太樓」と題し自分の夢やこんな会社であってほしいという内容を募集したところ、全社員から応募があり、会社に対する愛を感じました。応募の結果は集計して一番優れていたものを決めたほか、いろいろな賞も授与しました。選ぶのは大変でした笑。
細田副社長:職人、販売員、総務、事務、それぞれの立場の人たちが思う榮太樓總本鋪の将来像が集まりました。榮太樓總本鋪といえば飴だという言う人も居れば、いや”きんつば”だ、”甘名納糖”だという人も居ます。それは榮太樓總本鋪というブランドが多様な形で愛されているからこそだと思います、当社の面白いところでもありますね。
次の200年に向けた記念商品の開発やブランドの見える化を図るため動画や特設サイトを開設し、中長期的な施策で新たなコーポレートブランドの社内外への浸透を狙った
想いを乗せた200周年特別サイト。榮太樓總本鋪の顔となる商品を榮太樓飴の中でも最も伝統的な「梅ぼ志飴」と「金鍔(きんつば)」に定め、こだわりの製法を伝える動画制作にもトライ
細田副社長:みんなで創った共通の価値観を外部に発信する方法として、広告やお得意先の皆様をご招待してのイベントも考えましたが、経費の関係上単発にならざるを得なく、一瞬の効果で終わってしまう気がしました。効果測定も難しくあまり当社の趣味ではありません。なので、瀧本さんのディレクションのもとで200周年記念サイトを制作することになりました。ネット上にきちんと足跡を残す形で特設サイトを作る方が、中長期にわたり効果があるだろうという判断です。
瀧本:これまでの200年の歴史と、これから200年に向けたメッセージを特設サイトに入れ込み、分かりやすく伝えるために動画コンテンツも制作し、若い顧客層に向けてのアプローチも図りました。
細田副社長:もともと当社は50代以上の層には親しまれていましたが、榮太樓總本鋪の飴の良さをもっと若い人にも知ってもらいたいということでポップな感じにしました。
特に自社の強みとして打ち出すために、今まであまり外に積極的に発信して来なかった「榮太樓飴の製造方法」「金鍔の製造方法」等の工場内部の映像をインタビュー仕立てで作成しました。
榮太樓の梅ぼ志飴ができるまで
榮太樓の金鍔ができるまで
細田副社長:自分たちでもこの2つの商品の製法が優れていることを頭ではわかっていたのですが、瀧本さんのように外部の方に言われなければ、それを改めて外に向けて打ち出そうとは思いませんでしたね。
動画制作にはお金もかかりますから、200周年だからこそ挑戦できたことです。工場で働くスタッフに対して、自分たちの仕事は外部に発信する価値があるということを誇りに思ってもらいたいと思いながらコンテンツを制作しました。
また、200周年の歩みについては、「200周年記念動画」として3分半程度の短いものにまとめました。
200周年記念動画
瀧本:榮太樓總本鋪さんには金鍔や榮太樓飴以外にも非常に多くの商品があり、その全てに手数をかけて、真剣に作っていました。品質が良くて美味しいものばかりだったんです。それは強みとして存在する一方で、逆に「榮太樓總本鋪って、何のお店だっけ?」という状態になっていることは否めませんでした。例えば「とらやなら羊羹」といったように、榮太樓と聞いてぱっと思い浮かぶ商品を作るべきだと考えました。AppleもiPhoneが代表商品で、昔はMacですよね。時代を代表する商品があってこそ、選ばれる理由にもなります。
次の200年に進むための商品として今回選んだのがきんつばと榮太樓飴の中でも最も伝統的な「梅ぼ志飴」です。
また、200周年を象徴する商品が必要なので、それを榮太樓飴に定めて「日本橋で200年の歴史をつむぎながら商いをしてきた歴史と、未来の姿をイメージした200周年記念の榮太樓飴」の開発をサポートさせていただきました。
webサイトで訴求している商品もきんつばと榮太樓飴に特化したコンテンツになっています。単純に商品だけを見ると、スーパーで売っているものと比べて高いという感想だけになってしまうのですが、その背景には歴史やストーリーがあり、原材料や製法にも強いこだわりがあります。そこをきちんと知ってもらいたいという思いで制作を進めました。
細田副社長:作成したコンテンツを二次利用するにあたり、瀧本さんには弁理士としての知見を活かして契約周りでもアドバイスをいただきました。
200周年記念で開発した周年記念の榮太樓飴は1日に1500缶売り上げるまでに大躍進。新たに20~30代に商品をリーチすることができた
細田副社長:今回のブランディングプロジェクトの定量的な成果をあげるとすれば、榮太樓飴が非常に売れていることです。200周年をきっかけに、中途半端に新しいものを作るよりも、元々認知度の高い当社の代表商品をリサイズするということで可愛くしてみようと、思い切って梅ぼ志飴、黒飴、果汁飴など全種類の榮太樓飴をミニ缶に仕立て直しました。これがレトロ可愛いと特に若い層から評価を受けて、おかげ様で缶入りの飴が復活しつつあります。もともと榮太樓飴の缶や粒はもっと大きくて、修学旅行生たちの定番のお土産でした。それが時代の流れとともに売れなくなってしまっていたのですが、サイズを変えただけでこんなに売れるのだと驚きましたね。12月は商品がよく売れる時期なのですが、多いときは百貨店で1日50万円の売上がありました。1缶330円ですから、1500缶ですね。
200周年の限定商品として、歌川広重の東海道五拾三次「日本橋朝之景」と浮世絵画家NAGAさんによる「近未来の日本橋」のイラストを使用したパッケージを出したところ、企業からの引き合いも一層増えました。現在はコラボデザインの缶を数多く展開しています。
瀧本:飴の製法や素材は変えずパッケージを変え、20~30代の方にリーチできました。特設サイトを若者向けにポップにしたことで認知が上がりました。商品の良さを知ってもらえれば表現を変えただけでも手に取ってもらえるんですよね。
細田副社長:もともと梅ぼ志飴と黒飴だけは小さな缶を出していて、ここ数年ナチュラルローソンでやたらと売れていました。ネットで評判を見たら缶が可愛いと言われていたのをヒントに、200周年で全種類に展開した形です。
今の50代以上の方が見たら、榮太樓飴の缶は間違いなく懐かしいイメージのものなのですが、今の20代にとっては初めて見る商品です。世代が一周して、純粋にデザインを見て可愛いと言ってもらえているんですね。
やりたいと思っていても自分達だけでは施策を実行できない時には、背中を押してくれる外部人材の存在がありがたい
細田副社長:最近、「榮太樓さん攻めてますね」とか「色々なところで見かけるようになりましたね」という言葉は多くいただくようになりました。
伝統的な和菓子に囚われ過ぎず、また市場を従来メインであった百貨店から、量販市場、土産市場、ネット等に大きく展開していくことでマーケットは広がっていると思います。ブランディングというのは何かすぐに目に見えて数字で成果が出るものではないですが、少しずつ効果を感じ始めています。
瀧本:200年続く企業、製法、商品はどれも並大抵のものではありません。今回のプロジェクトで良かったのは、榮太樓總本鋪さんがなぜ現代まで続いてきたのか、これまで何となく思っていた強みを明確に言語化できたことだと思います。榮太樓さんの素晴らしい点は、守るべきところは守り、変化するところは変えていくという思いがあり、それを実行するだけの力も持っていたことです。もともと「伝統と革新」という理念はあったのですが、それが少し見えなくなっていたところを再発見できるようお手伝いさせていただきました。
今後も次の200年に向けて同じ姿勢を継続してほしいですし、東京オリンピックでお店に人が溢れ返っているのを私も見たいと思います。それも一過性のブームとしてではなく、日本には本当に美味しいお菓子があること、それを榮太樓總本鋪さんが担っているのだというところまで知ってもらえたらうれしいです。
細田副社長:瀧本さんには感謝しかありません。自分たちだけで何となくやりたいと思っていても、人に背中を押してもらわないとできないことはあるんですよね。特にインナーブランディングは社内からの評価がダイレクトに返ってくるので、実施を躊躇してしまいがちです。それも実際やってみたら案外好評だったりしました。
当社はさまざまな年代、考えの人が働いているので、一つの価値観にまとめるのはかなり難しいですし、自然発生的にはできません。そこを後押ししてもらえたのも有り難かったですね。支援いただいた1年半の間、発信の仕方を勉強させてもらいましたし、非常に良い経験ができました。
プロシェアリングの活用コンサルティングの会社さんからはこれまで3名の方を紹介してもらっていて、現在も別の方に支援いただいています。支援を通して感じるのは、プロ人材はどなたも私たちだけでは到底探せなかった深い知識をお持ちの方たちばかりだということです。まだまだ当社の知らない知見を埋めてくれる方はいるのかなと感じますし、今後もご協力お願いしたいです。
200年続く歴史と商品への強いこだわりという、潜在的な魅力をたっぷり持っていた榮太樓總本鋪さん。だからこそ瀧本さんの的確なアドバイスが見事に花開き、しっかりその強みを発信できた案件だと感じました。
本日はお忙しい中、ありがとうございました!
老舗企業のブランディング戦略案件におけるまとめ
課題・概要
和菓子づくりへのこだわりの強さは自負しているが、それをうまく発信できない悩みも抱えていた。そんな中で、200周年を機に広報×知財でブランディングを一貫して支援できるプロ人材をアサイン。自社の強みと共通の価値観を定め、それを発信する200周年施策、社内浸透施策を併走して行なった。
支援内容
- 次の200年にむけた榮太樓のブランド戦略を策定し、アクションプランを社外向けと社内向けに企画立案
- 200周年をきっかけに、様々な立場の従業員の共通価値を「社是の変更」により言語化
- 将来の榮太樓のあるべき姿についての意見を集める社内イベントや、朝礼での社是読み合わせなど中長期的な浸透施策も実施。
- コーポレートブランディングとして200周年特設サイトを制作。伝統の味とこだわりの製法という強みをアピール。二次利用にあたり、契約周りもフォロー。
- 豊富な商品ラインナップの中から、自社の強みを発信するための代表として榮太樓飴の中でも最も伝統的な「梅ぼ志飴」ときんつばをセレクト。2商品の製法紹介動画も制作。
- 200周年を記念した限定デザインパッケージの榮太樓飴も発売。
成果
- 若い世代にも榮太樓のことを知ってもらえるようになり、榮太樓飴は百貨店で1日1500缶の販売も記録
- 1年半の支援を通して、自分たちだけでは実現できなかった様々なアイディアの実行方法を教えてもらえた。
- 現在はインナーブランディング含め自分たちで運用できている。
支援のポイント
- 大事だが意外とやり方がわからないブランディング。老舗企業なら尚更伝えたいメッセージや商品も多くなりどこからどう手をつけるべきか見えづらくなっていた。
- 外部のプロ人材と一緒に自社の強みを整理して、200年続いた理由は「伝統の味をその時代にあった方法で消費者に届けたこと」「こだわりの味と製法を守り続けていること」だと改めて発信できた。
- インナーブランディングから着手し、社員全員が自社に誇りを持ち、次の200年に向けて同じベクトルを持てるようになった
- ブランディングは一朝一夕ではいかないが、根気強く続けるための手法を実務経験もあるプロから学べた。
企画編集:新井 みゆ
写真撮影:樋口隆宏(TOKYO TRAIN)
取材企業:株式会社榮太樓總本鋪
※ 本記事はサーキュレーションのプロシェアリングサービスにおけるプロジェクト成功事例です。